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鈴木氏の訃報に接して

2026-03-24||鳥原 学
3月20日、写真家であり、写真学校の講師として同僚であった鈴木邦弘さんが亡くなられた。66歳であった。
彼は優れたドキュメンタリー写真家、本気の教育者、そして何より反骨の人であった。私とは別の意見を持っておられ、ぶつかることもあった。だが、真剣に向き合えば、誰よりも聞く耳を持っておられた。
写真という文化分脈が大きく変わるなか、ずいぶん悔しい思いもされたと思う。だが、その真っ直ぐな経験と見通しはこれからの写真家教育に間違いなく必要だと思っていた。
1993年「森の人ピグミー」展で伊奈信男賞を受賞されたいるが、後年は発表が少なかった。福島出身で、地元をずっと撮り続けておられたご、ついにまとめられることはなかった。

写真集の一冊くらい、残して欲しかった。

惜しい、あまりにおしい。

彼の人となりは、以下の記事でも伺える。
ぜひこちらもご一読していただきたい。
–鈴木さんは、カルティエ=ブレッソンの影響を受けていますか?
カメラマンになりたての頃は、まさにカルティエ=ブレッソンのような写真を撮ることが目標でした。けれども、だんだんと違和感が生じてきた。というのは構図ばかり気にして、被写体そのものから意識が離れている自分に気付いたのです。ボクはアフリカの奥地にピグミー族の写真を三回、撮りに行ったのだけど、一回目はそんな迷いのある時期だった。そこで撮影するうちに、「構図ばかり考えて被写体を見ていない。これでは遠路はるばると来た意味がない」という思いがよぎったのです。それで帰国後しばらくして、カルティエ=ブレッソンを目指すのはパタリとやめました。自分には合っていないし、ムリだとも思ったから。そして次のピグミー族の撮影では写真を“絵”として捉えずに、人々の髪の毛の一本一本を、刻まれたしわを、身の回りのモノの質感を、克明に“記録”しようと決め、それに適した8×10(エイトバイテン)という大型カメラをかついで訪れました。先ほどの話で言えば、表現性から記録性を重視するスタイルに切り替えたのです。その結果、ピグミー族の写真で第18回伊奈信男賞を受賞することができました。それ以来、現在に至るまで、そのスタイルを貫いています。
–最後に、鈴木さんが写真を撮り続ける理由を教えてください。
撮りたいものがあるから。それに尽きますね。最近は「撮りたいテーマが分からない」と言う学生が多いのだけど、それではカメラマンになっても仕方がないと思う。ボクが写真の道を選んだのは、カメラマンは必ず現場に行く必要があるから。人やモノと対峙することが好きなんですよ。それは自分の撮影スタイルにもなっています。以前に難民キャンプの撮影でレンズを向けたら石を投げられたことがあった。それでもカメラを構えたままの状態で向かって行くと最後にはその人は笑い出し、結局、いい表情の写真が撮れた。今後も、そのように対象と正面からぶつかり合った写真を撮り続けたいですね。