小学校を卒業すると同時に、奈良のニュータウンへと引っ越しをした。水害に悩んでいた両親の以前からの希望だった。しかし人臭い下町から、完全に計画造成された郊外住宅地という環境の変化に、私はただ戸惑いを覚えた。
風景も住んでいる人も均質な感じがしたからだ。まばらにメーカー住宅が建っていて、住んでいるのはそこそこの企業に勤める人たちの家庭ばかり。進んだ新設の中学は、普通高校から大学に進むのが当然という感じだった。大阪の下町に住んでいれば「手に職を」と望む父にの意に従い、工業高校に行き、そのまま就職していたに違いない。けれど環境に流されて、大学までは行ってみようと思うようになった。
全国の中学校が最も荒れていたころだったが、管理教育が行き届いていたためか、ぼんやりと平和な毎日だった。ただ、私の気分はなにかガサガサしていた。
結局、ニュータウンには24歳まで暮らした。下町に12年間、ニュータウンに12年間と同じ歳月を過ごしたことになる。後者の間は、ここを出ることばかり考えていた。願いが叶ったのは就職して、転勤の辞令をもらったから。その会社のすぐに辞めてしまったが、以降、東京と神奈川で暮らしてきた。
ニュータウンの家には、米寿になった父がひとりで住んでいる。体力の衰えが目立ってきたが、まだ頭もしっかりしているし、日常生活は自力でまかなえている。それに安心しきっているわけではないが。いざとなったら、実家の近くに家を構えている兄に頼るしかない。
いつか父がいなくなったら、私がこのニュータウンの家に戻ってくることはないと思う。