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写真評論家・平木収の講演録「写真はどこへ行くのか」1994 3/⑩

2026-07-20||鳥原 学

平木さんの講座の3回目。30年前の1994年はWindows95が発売される前年で、インターネット前夜のニューメディア論といえる内容。CD-ROM写真集が最新メディアとして出ているが、発言内容は今に通じているように思う。写真と紙の親和性を再考しての話になっている。


「写真はどこに行くのか」第3回 ── ニューメディアと写真

僕たちにとって写真というのは非常に身近な表現手段であったり、鑑賞の対象であったりしますが、今日写真というのはニューメディアではなくオールドメディアですね。ニューメディアの中に、すなわちCD-ROMとかの中に組み込まれようとはしていますけれど、それ自体はオールドメディアなんです。

写真写真した写真のことをこの間“骨董品”といったら飯沢耕太郎に怒られましてね、そんな言い方ってないだろうと。でもね悪い意味で僕は使ってるんじゃないんですね。悪い意味に取られるときもあると思います。骨董品というのはね、カビの生えたもの、そういう意味じゃなくて、骨董品というのはコノーサー=愛好家が意識的に保存していかなきゃいけないものなんです。

紙のメディアと「骨董品」としての保存

今すべての写真がじゃないですけど、ある一部の写真というのかね、写真写真した写真というのかね、それを保存というのか、つまり守っていかなきゃという時期にきてると思います。というのはね、一つの現象で言いますと、僕なんかは写真集は紙の写真集が欲しいです。CD-ROMの写真集っていうのは可能性としてはあると思います。ネットワークに乗せたり、検索の便宜の時なんかにはいいと思います。ただ、その世界に入って行って、自分も参加するような感じで写真家に結ばれていく感じは、僕は到底ブラウン管とかCRTの画面とはできないです。それはテレビ番組になっちゃうんです。

で、つまりそういった意味では、紙のメディア、紙に加工された、情報が加工されたメディアというのは、これからひょっとして意識的に保存していかなければならない。高精度印刷とかじゃなくてね、銀塩写真、プリントそのものを、それもすごい付加価値のついたものじゃなくて、スティーグリッツの何千万円といったプリントじゃなくてですね、普通のプリントが普通の形で保存されていかなきゃいけないだろうなぁと思ったりしてるんです。そのくらい写真というのはオールドメディアだろうと思います。

マルチメディアの歴史における写真の役割

で、そのオールドメディアは、昔はニューメディアだったんです。もう一つ写真に対して注意を喚起しておきたいのは、今マルチメディアって言ってますね。双方向だったり、文字と映像が一緒に出て来たりして、マルチプルな、多元的な媒体、マルチメディアというのが今、電子媒体の方でさかんに持てはやされてるっていうか、これからのホープとして注目されています。

はじめに言葉を持って、文字を持って、それから文字の表記方法を改良しながら紙を用いて、印刷術を手に入れ、そこに画像を取り込むことを手に入れ、工夫してね、版画やなんかで工夫して来た人間っていうのは、そのつどそのつどマルチメディア体験をしてきたんです。

写真というのはその点、マルチメディアの歴史の中では、非常に大きな一歩だったわけで、光学的、科学的な、画像を平面化するつまり、文字やなんかと一緒に扱えるようにする、技術だったわけです。今日マルチメディアのことを理解する上でもやっぱり、写真のようにその周辺の歴史っていうのはしっかり理解しなきゃならないし、そういったことも考えていくと、あながち用済みの骨董品というよりは骨董品だけど現役という、そういう感じがするのは僕なんかが抱いている写真のイメージです。

で、その写真ですけれども、最近じゃあそこでどういう表現が展開されてきているか、どういった方向性があるかってことをいくつかの例を見ながら、考えていきたいと思います。


次回、第4回はに続く。