写真を二次元と三次元の互換性をもつ「イメージの通貨」として考えてみる。その場合、通貨を保証するのは政府の信頼性だ。その政府は私たちの合意の上にしか成り立たない。
写真家は金本位制下の採掘工のようだ。世界という鉱脈から、光の痕跡をマイニング(採掘)し、共有すべき価値を供給してきた。
現在、写真はマイニングされる金貨であるのと同時に、写真が蓄積したイメージの銀行から借り出して印刷される紙幣でもある。必要に応じてそのデータベースから確率論的にイメージを抽出し、印刷されているのだ。問題は、その供給量にら必ずしも社会的合意という裏付けがないことだ。
かつては金という実在の裏付けが信頼を担保していた。だが今や、写真に基づくイメージという通貨は市場の需要に応じて野放図に増刷されている。
この状況はよくインフレーションに喩えられる。だが一方で、社会の相互信頼の後退は、写真が三次元世界と結びつく力そのものを縮減させてもいる。実在との接続という面では、デフレーションという状態を呈しているのだ。
つまり量は膨張し、信頼が停滞する現在は、視覚的信用のスタグフレーション(不況)の状態にある。写真および写真的イメージに偽造不能な担保を刻み込み、イメージの希少性を再構築することは果たして可能だろうか?