平木収さんの話は、当時注目を集めていたジョエル=ピーター・ウィトキンへと続いた。この作家のエキセントリックさを通じて、欧州人とアメリカ人との宗教をめぐるねじれた関係を見ていたようだった。
この辺りの話を、もう少し聞いておけば、と今になって思ったりしている。
さておさらいみたいになっちゃうんですけど、またどぎついというか、そういうものを見てみましょう。
最近ちょっと作風が若干は変わってきてるんで、この作品で述べるのは難しいかもかわんないですけど。アメリカの作家でジョエル=ピーター・ウィトキンという人がいます。この人はたしか、アリゾナの方に住んでた人だと思います。実はフランスだけじゃなくて、かなり発表の場がヨーロッパに動きつつありますね。彼は神の冒涜とか心的な、神をいやしめるようなすごい作品を、極端な言い方をすれば作っているんですね。
実は今年ね、カオールの写真祭でジョエル=ピーター・ウィトキンが作品を作ってる現場をドキュメントした映画というのを見ました。これはすさまじいものでした。まだ、日本での上映は聞いたことないですね。あれはやると面白いと思うけど、テレビではちょっとできないですね。かなりフィルム作りの中では演出をします。ネガ作りの段階でも。仕上げの段階でもいろんなことをします。
それを彼はね、ちょっと見直したんですけど、平気でドキュメンタリー映画に撮らせてるんです。それでこれなんかは腕が4本あるんです。これは明らかに後ろに人がいてそれをくっつけてるなぁというのがあると思います。だけど本当に解体(された部分)をもらってきたり、それを借りて来たりすることがあります。それから内臓なんかは動物の内臓を使ったりするんですけど、とにかくフリーク、奇形の人を探してお金を渡してやってもらう訳ですね。
この人の撮影のところもありましたけど、やっぱ体の形が非常にいびつになってる、そういう人を探して来て、探すんですよやっぱり。そんで面白がっちゃいけないけどアメリカはしんどいんです。外国行くんです。ともかく道具をもって行くわけです。それこそお金でバーンとやっちゃうわけなんですね。見てて胸が悪くなるほど本当に金で交渉するんです。だけどね「金のためなんかにわたしはそんなことできないわよ!」といって金を投げ付けて逃げられるところまでちゃんとドキュメンタリー映画に入ってる。それは“撮った奴も撮った奴”と思って見たけど。
この人も確か(映画の中に)出て来たと思いますけど、ロケバスみたいなものの中からね、バスの中から町をうろうろしたり、自分で出て行ったりして、好みの体型の人を探していくんですね。あとはね女性だったら娼婦を使う、男性も男娼を使うことが多いわけですね。これなんかも多分両性具有をうまく表現していて。本当、テクニックすごいんですよ。ブラシだとか切り抜きだとかね、いろんなことをやってね、本当にマスターネガ作っちゃうんです。ネガを作るとこもあったんですけど、ほとんど外科医の世界ですね。ゴムの手袋をピッピッとはめてメスをもってルーペつけて。それでだいたい4×5でつくるんですが、そのネガを切っていくんですね。切ってまた貼っつけて、焼きのときにオペークしながら、それで最終的な焼きのときには紙に乳剤つけただけみたいな、まあ焼いちゃったりするんですけど。すごいエネルギーでそれをやっちゃうんです。発想は完全にこの人も写真じゃないですね。絵です。
日本に小山穂太郎さんという人がいて、彼なんかもまあ似たような、似たようなっていったら怒られるけど、つまりドローイングあるいはペインティングの感覚で写真をやってますが、この人もそうです。ジョエル=ピーター・ウィトキンも。
ただ表現主題がやはり、わりきりの後のものというか、ヨーロッパの人だったらそんなにやんないかもしれないけど、アメリカっていう新天地にいるからそこまでできるのかなと。そういう感じがする。涜神的な、つまり神に対する反逆的なメッセージなんですね。
近作ではドン・キホーテみたいなのを作ったんですけど、死んだ馬をもらってきてそれを首を切り落として皮をはぐんですね。すごいんですよ、その一日、玄関に置いておいたりするんですね。怖いですよ、皮を半分めくられた馬が、カラー映画なんです。作品はモノクロなんです。その馬にいろんな鏡の役者がついて、一つの画面になるんですけど。完成作品はモノクロなんですけども、結構それにいたるまでは色の配列みたいなことまで計算しているようなんです。
そういうふうにしてひとつ、自分のこれだっていう世界を疑似的に作っておいて、それを写真にするわけですね。問題はテクニックのことだとか仕上がりのことよりも、やはりテーマ性だと思うんです。
テクニックもすごいけどやっぱこの何枚かの写真に流れてるメッセージ、僕も宗教的には中途半端なというか、ほとんど無いに等しい人間なんですけど、多分これはキリスト教者が見たら怒るであろうようなものが多いですね。
事実、彼はカトリック教会かなんかから告訴されてますね。ということは逆にね、ものすごく知ってるんですね、宗教のことを。で、特に、宗教のことをっていうか、信者でもこういうことをしちゃいけないな、ということを知っているようなね。そういうカトリック的、あるいはキリスト教者的な要素をもっている。そういうテーマの絞られ方というのは、またこれシンディ・シャーマンなんかと似たようなところがあって、ある種アメリカ的なっていうふうに僕は感じます。先入観かもしれませんが。逆にそういうエキセントリックなところが、ヨーロッパの人にも受けてるというのは事実だと思います。これも変ですね。コミカルと言えばコミカルなんですけど。コミックだけではすまないような。これなんかもね明らかに作りもんだというのがわかっちゃうんですけど。
今日お見せしたやつはそんなに悪魔っぽいやつはないんですね。こういった作風もあって、これはヨーロッパでは生まれないけれども、ヨーロッパではウケているという作品のひとつですね。
以上、次回第9回に続く。