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写真学生に写真の「ワクワク感」を教えられる

2026-08-26||鳥原 学

写真学生に写真の「ワクワク感」を教えられる

筆者が専門学校や大学で教壇に立つようになってすでに20年ほどになる。振り返ってみるとこの間に学生の使っているカメラもずいぶん変わった。時代の流れに沿って、フィルムカメラからデジタルカメラに、一眼レフからミラーレスへと移行してきたのは当然だが、ここ数年はフィルムカメラを持っている学生がかなり目立つようになった。暗室作業が必修授業から外れてすでに久しいので、それらはたいていプライベートな記録や作品制作のために使われている。

その愛機もバラエティーがあって、見ているだけでも面白い。1万円程度で買える1980年代のコンパクトカメラから、ライカなどのクラシックカメラ、あるいはペンタックス67などの中判カメラまで様々だ。

これらカメラよりも、フィルムや現像代にかかるコストの方が負担は大きい。いまや36枚撮りのネガカラーフィルム1本が1,500円以上で、現像代は900円以上もする。スマホに転送するサービスを加えると、さらに1,000円ほどもかかる。だから簡単にシャッターを切っているわけではなく、「本当に大切なときに、思いを込めて撮っています」と口をそろえる。

さらに話を聞いてみるとフィルムカメラ特有の手間が、撮影行為に強い実感を与えているようだ。フィルムを装填したり巻き上げたりする、あの物理的な動作が“写真を撮っている”という実感をもたらしてくれる。また露出やピントに失敗するかもしれないという危うさ、思わぬものが写り込んでしまうという偶然性、そうした結果が現像するまで分からないのが良いと言う。子どもの頃からスマホで写真を撮っていた、Z世代と呼ばれる完全なデジタルネイティブにとって、それは新鮮な写真体験なのだ。

そういえば、こんなことがあった。ある日、一人の学生が「チェキ」を手にしていた。よく見るとそれは初期型で、わざわざ中古カメラ店を探し回って買ったもの。そこで「写せば撮影できるだけの旧型より、撮影データも保存できる現行機の方が使いやすいんじゃないか」と尋ねてみると、「それだとワクワク感がないんですよ!」と返されてしまった。そのとき私はハッとした。まったく虚を突かれた感じがしたのだ。

写真表現にみる呪術性の復活

考えてみれば、写真メディアの技術的進化を促してきたのは、誰もが失敗もなくキレイな写真が撮れ、それをさらに完璧な画像へとブラッシュアップできるメカニズムへの欲求だった。2020年代の現時点で、その技術はすでに到達点に達しているといえるかもしれない。デジタル技術の急速な進化によってカメラという装置は完成したうえで、新たにAIとの連携を模索しながらさらなる進化を続けている。

ただし、このきわめて合目的的で近代と言える進化の歴史から見落とされてきたものがある。写真学生たちがフィルムカメラに求めた、身体的な実感や偶然性というものだ。つまり撮影から画像を確認するまでのタイムラグや、技術的な失敗や性能の限界からくる画像の不鮮明さなどで、考えてみるとそれらが写真文化の形成に果たしてきた役割も大きい。

例えば私たちは奇妙に光が写り込んでしまった画像を、出来事の予兆や亡くなった人の魂の顕現として解釈することがある。ゴーストやハレーションといった光学的な現象だと分かっていても、なにか特別な意味を汲んでしまおうとする。写真に呪術的な意味を見いだそうとする志向も、写真という文化を重層的なものにしてきた大切な要素なのだ。

そのような志向は、横田大輔、小松浩子、多和田有希、小林健太など30〜40歳代前半の写真作家の作品にも目立っている。彼らの作品はデジタルカメラや画像ソフトのバグとエラーに注目したり、アナログ写真の物質性を様々な形で強調したりするものである。制作プロセスのなかで起きる「創造的アクシデント」をコンセプトとすることで、写真というメディアの一貫性やアイデンティティーというものを再考することを促そうとしているのだろう。

ただ、それらは一見すると何が写っているかの判別もつきにくい。従来的な写真の美的な規範から逸脱しているため、難解と思えることも少なくない。表面的なイメージに目が向けられることを積極的に避けようとしているようにも思えたりもする。カメラ任せにする方がきれいな写真が“撮れてしまう”ことを疑問に思い、その自律的なメカニズムの隙間をつくことで、人間が写真に関わることを取り戻そうとしているのではないかと思う。

もしそうであるなら、それはやはり呪術的な性質をもう一度、獲得したいという願望の表れなのである。写真の不自由さから生まれる「ワクワク」する方法を見つけ、それを私たち鑑賞者に思い出すように促しているのだ。

その作家たちよりさらに若いZ世代の写真学生たちには、そもそもその思い出自体が欠けている。そのため一層強くフィルム写真に魅入られることになる。それはもちろん、日本だけではなく世界的な傾向であり、彼らの関心の高まりが、いまフィルム写真を復活させつつある。海外の写真関連のサイトをチェックすると2、3年前からフィルム需要の回復というニュースがずいぶん目立ってきているのである。

学生所有のフィルムカメラ
ペンタックス フィルムカメラ

フィルム写真ブームは加速するか

世界的なフィルムカメラ人気の象徴的な出来事は、2022年に発表されたライカM6の復刻だろう。じっさい、その売り上げはライツ社の予想を超えたものとなっている。

アメリカの写真専門サイト「Digital Camera World」の1月7日付の記事「フィルムカメラの販売台数がわずか8年で900%増加!」によれば、M6の発売を機に2023年のライツ社のフィルムカメラの販売台数は年間5,000台に達したとある。それは2015年から比較すると約10倍の増加であり、デジタルMマウントボディの約11,000台と比べるとその多さが分かる。この記事では、同社の経営幹部は「アナログ回帰」の傾向が鮮明になったことを示していると語っている。

このアナログ回帰を加速したのはコロナによるパンデミックだといわれている。家で孤独に過ごす時間が長くなり、そのなかでスローなフィルムカメラの楽しさが再発見されることとなった。それを証明するのは世界最大手のネット通販のeBayで、「ニューヨーク・タイムズ」の記事によれば、2021年までのコロナ禍の2年間でフィルムカメラの売上が、メーカーごとにそれぞれ42〜79%の増加率を記録したとのことだ。

すでにフィルムカメラの売り上げ増加に対して、写真フィルムの供給が追いつかないという事態が起きている。写真フィルムについて検索して見ると、各地のローカルなニュースサイトでカメラ店が困っているという記事を散見できるはずだ。いずれも商品を棚に並べるやいなや、新しく写真を始めた若者たちに買われるので、仕入れに苦労しているというレポートである。

コダック社はこうした声に積極的にお応えしている。2022年12月に同社は写真フィルムのための技術者や従業員を募集すると発表して注目されたが、じつはそれ以前の3年間ですでに100人単位で人員を増やしていた。こうした同社の製造能力の拡大は、最近になって明確な成果を見せている。

昨年11月に中判フィルムを値下げしたのに続き、今年1月下旬に、主力のモノクロフィルムであるトライXの価格を最大30%引き下げることを発表したのだ。円安に悩む日本のユーザーにとってもこれはかなりのメリットがある。何より、写真学生たちにとっては朗報に違いない。

もちろんこうした復活の動きは、フィルム全盛期と比較すれば小さな現象に過ぎない。いったん最低にまで縮小したマーケットで起きた反動と見ることもできるだろう。実際ニッチ化したフィルム写真を支え、若者たちにその楽しみを示してきたのは、1994年にトイカメラから出発したオーストリアのロモグラフィーをはじめとする比較的小規模な企業だった。そのロモグラフィーもフィルム製造を手掛け、そのラインアップを充実させてきている。今年はこうした小メーカーの新製品にも注目したいところだ。

海外を含めたフィルムカメラをめぐる動きのなかで、2023年5月に発表されたリコーイメージングによる「PENTAX」ブランドでの新フィルムカメラプロジェクトはかなり注目されている。これを書いている時点では「手巻き式」の試作機が提示されている、というくらいしか私は知らないのだが、文字通りワクワクしながらその登場を心待ちにしている。そして、いまの若い世代がフィルム写真に見いだした希望を、どうすれば守っていけるかを考えたいと思っている。