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時間旅行 4

2019-08-24||阿古 真理

激動のこの半世紀、一番大きく変わったものは、
人々が暮らす“町”かもしれない。
都心はもちろん、住宅街も昔の姿を留めていない。
でも、どんな時代であろうと変わらない営みもある。
昔の空間を覗いてみよう。もしかすると、
自分と似た人に出会えるかもしれない。

街並みから見えてくるもの。

昔、家々の大半が瓦屋根だった時代があった。瓦づくりは地場産業で地元の土を使うので、地域によって屋根の色が違っていた。黒が濃い地域、白っぽいグレーの屋根が多い町。オレンジ系の地域もあった。沖縄県のオレンジの屋根は、竹富島に保存されているので、知っている人も多いだろう。沖縄の土は赤っぽい色をしているのである。
 今は住宅メーカーの建てるプレハブ住宅が珍しくなくなり、瓦屋根が少なくなってしまった。プレハブ住宅が登場したのは1959(昭和34)年である。
住宅メーカーの家はその後各地で増えていった。1995(平成7)年、阪神・淡路大震災で瓦屋根が崩れ落ちたり、木造の家が壊れ、従来の木造軸組工法による家の耐震性が問題になった(その後問題はないと結論が出た)。大量の家が倒壊して大工が足りなくなったこともあって、工期が短く大工を必要としないメーカーへ頼んだ人が多く、被災地の風景は瓦屋根の木造住宅から耐震性を誇るメーカー住宅の家々へと変わっていった。
 昔の町並みが一気に変わるのは、地震以外に大火がある。国中が襲われた大火といえば、第二次世界大戦末期の空襲だ。しかし、なかには空襲を免れた町もある。左の写真はそんな生き残った徳島県の町だ。
 懐かしい瓦屋根と木の壁で造られた家々をつなぐ、道が細い。この道に注意して見ると、家と道路の間のラインが凸凹していることがわかる。バスが家々の間をそろそろと縫うように走っている。人が歩くためにできた土の道で車は新参者。車が通りやすいよう整備された現在のアスファルトの道と成り立ちが違うせいか、人のほうが車より堂々と歩いているように見える。道端でくつろいでいる人もいる。
 昭和の時代、子どもたちが道路で遊んでいられたのは、こんなふうに道が人の暮らす場所として存在していた時代の名残かもしれない。今も、路地では人が堂々と道の真ん中を歩いたり、自転車が車道にも歩道にも走っているのは、こういうごちゃごちゃとした暮らし方が、人として体になじむからなのかもしれない。
 人の無意識が大量生産の規格に収まりきらないことは、右ページの写真を見るとよく分かる。1961(昭和36)年の東京の団地である。
 高度成長期、都会が急速に復興・発展して日本中から人が集まってきた。住宅不足のため建てられた集合住宅が団地である。自分たちの暮らし方に合わせて、「どんな家にしようか」と考えた建物ではない。大量生産のハコに、人の暮らしをはめ込んでいったものである。
 しかし、そんな同じ間取り、同じ外観のハコの中でも、人はどんどん自分の暮らしを積み重ねていく。洗濯物がベランダからはみ出んばかりに干されているのは、いかにも高温多湿のアジアらしい風景である。暑いから大量に汗をかいて洗濯物が毎日たくさん出る。外に干せば暑さと風で乾くから、特に夏は外干しが当たり前なのである。
晒し布が目立つところが時代を感じさせる。これはおそらくオムツだろう。今のような立体裁断の紙オムツがアメリカからやってきたのは、1977(昭和53)年。それまで多くの家庭では、晒し布のオムツを縫って赤ん坊のお尻に当て、毎日洗っていたのである。
たくさん必要なものだから、出産のときにオムツを縫ってプレゼントすることが喜ばれた。2013年にヒットしたNHK朝の連続テレビ小説『ごちそうさん』では、出産を控えた主人公に、折り合いの悪い義姉から縫い直さないと使えないオムツが大量に届く、というエピソードがあった。布のオムツには、人の思いが込められていたのである。
洗濯物以外にも、たらいや観葉植物などもベランダに見える。現在の、玄関も窓も閉じられた家々が並ぶ町でも、外まわりに置かれたモノから、その家の暮らしは透けて見える。いつの時代でも、人の無意識は外に開いていくものかもしれない。

掲載写真

長野重一「戦災を免れた街並み」 徳島 1957(昭和32)年
「団地 戦後初めて建てられた都営団地」 東京 大久保 1961(昭和36)年

初出『TRANSIT』(講談社)2014年冬号