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時間旅行 3

2019-07-30||阿古 真理

日本の近代化は明治維新とともにはじまっている。
しかし、高度成長期頃まではまだ、
昔ながらの光景があちこちに残っていた。
特に農山漁村では、江戸時代と変わらない
暮らしぶりが続いていたのである。
今はなくなってしまったその風景を辿ろう。

昭和の農村と動力源。

 1955年、茨城県潮来市がにわかに脚光を浴びた。少女時代から高い人気を得て、当時は数々の映画にも主演していた美空ひばりの映画、『水郷哀話 娘船頭さん』のロケ地として選ばれたのである。
 利根川、霞ヶ浦・北浦などに囲まれた潮来は、古くから水運の盛んなところだった。特に江戸時代は、徳川幕府が利根川を太平洋に直接注ぐように治水工事を行った結果、利根川に面した潮来は中継港として栄えたのである。東北地方や周辺で産するコメも、潮来を通って江戸蔵前まで運ばれた。豊かな水に恵まれた潮来は水田地帯でもある。
 時代は移り、明治政府は、鉄道を中心にした近代化を進めた。いにしえの水運の拠点は観光資源として再発見され、若い娘たちがサッパ舟と呼ばれる小舟を操り観光客を案内するようになった。その仕事が、美空ひばりの映画で取り上げられたのである。
サッパ舟は嫁入りのときや物資の輸送にも使われた。左の写真は美空ひばりの映画の翌年に撮影された、水路を行く夫婦である。後ろから当たる自然光がバックライトのように二人を浮かび上がらせているので、稲の束を積んだ舟に乗る姿はまるで、収穫の喜びで輝いているように見える。
 やがてこののどかな風景は、高度経済成長の波にのまれ消えていく。利根川や霞ヶ浦・北浦には次々と橋が架けられ、国鉄鹿島線が開業する。自家用車が普及し、潮来の生活の一部だった舟は役割を終える。
 時を前後して役割を終えたのが、労働馬・労働牛である。右の写真は、岩手県花巻市で馬を売りにきた夫婦の写真である。夫の表情は影になって見えない。横顔の妻も影がかかっているせいか、表情が読み取りにくい。複雑な思いを抱いていたのではないか、と顔に影がかかるように撮影された写真は語るのである。心なしか画面中央に配置された馬の表情も寂しげに見える。
 昭和半ば頃まで、東日本は馬、西日本は牛が農耕に使われていた。人間より体力があり、田畑を耕したり、収穫したコメや野菜を運ぶのに役立つ馬や牛は大切にされた。馬小屋・牛小屋が母屋にある農家もあった。文字通り、寝食をともにしたのである。
戦後、国は食糧増産政策に力を入れた。長い戦争で農村は疲弊し、国民は餓死と隣り合わせの生活だった。農地改革で自作農が増えたこともあり、農村の人びとは意欲的に生産性向上に取り組む。コメは一進一退をつづけながらも次第に増産され、大豊作となった1955年頃からは誰もが白いコメのごはんを食べられるまでになる。
その背景にあったのが稲作のレベルアップで、機械化がはじまったことも生産性向上に貢献した。その手はじめとして耕運機が一般に普及しはじめたのは、1950年前後。もしかすると、1951年に撮影されたこの夫婦も、馬を売って耕運機を買うのかもしれない。田畑を耕す仕事は、農作業のなかでも特に力を要する。耕運機を買えば労働は楽になるが、一緒に苦労した馬はいなくなる。どんな理由であれ、毎日世話をしてきた生きものを手放すことは寂しさがあっただろう。
二枚の写真は人が自らの体を酷使し、労働していた時代の夫婦を切り取っている。朝から晩まで働き詰めで苦労した農家は多い。苦労をともにしている二人が、それぞれに写っている。目を凝らすと、控えめなそのたたずまいから人生を連れ添う姿が浮かび上がってくる。

 

掲載写真

長野重一「収穫した稲を舟に積んで運ぶ若い夫婦」茨城・潮来 1956(昭和31)年
長野重一「馬を売りにきた夫婦」岩手・花巻 1951(昭和26)年

初出『TRANSIT』(講談社)2014年秋号