出身地も出身校も、そんな属性に縁がなくやってきた自分には、いまだにふわふわとした「よそ者」的な感覚が抜けません。気楽なぶん、やや遠目に写真の生態系を眺めているのかもしれないなと思ったりします。
「ブルデューはさらに、社会には人の無意識的な立ち居振る舞いすべてに差があり、話し方に言語感覚、休みの日の過ごし方まで、日常生活の一挙一動に格差があるという。確かに、認めるのは悔しい「育ち」が体に染み付いているというのはわかる気がする。公立中学からいきなり中高一貫の私立高校に入ったり、地方の公立高校から東京の大学に入ったりと、自分の属する集団が一気に変わったときに感じるあの拒絶感だ」(奥みんす「格差はお金だけじゃなかった! この世はライフスタイルの差異を競いあう闘争だ」(ダ・ヴィンチより)以下、リンク)