阪神淡路大震災のとき、私は震度6地域で暮らしていた。家族は無事だったが、家は文字通り傾き、水道は止まり、ガスも止められた。地震そのものの体験ももちろんショックだったが、私にとって決定的だったのは被災後の2カ月間で、その日々が人生進路を決めた。
その時期、周りは変な興奮に包まれていた。被災地にはボランティアが押し寄せていると聞いた。会社で住設関係の仕事をするチームは、被害が多かった地域へ調査に入った。しかし、とりわけ職場の残業が多かった私は、身を寄せた親戚宅にはほとんど泊まっているだけだった。
なぜ私は被災者なのに、震災と関係ない仕事で夜中まで拘束されないといけないのか。生活を支えるための仕事で、生活に関わる事が何もできないのはおかしい。
その違和感と罪悪感が、漠然と願っていた独立に足を踏み出すきっかけをくれた。2カ月後に大阪市内に部屋を見つけて引っ越すと、一人暮らしがきっかけで恋愛観が変わり、やがて人生のパートナーを見つけるに至る。会社も翌年辞めてフリーライターになり、4年半後に東京へ移ってから時間をかけて現在の立場を得た。被災体験は私を苦しめたが、その替わり、欲しいものに手を伸ばす勇気をもらったのだ。
あの頃切実に思った「生活が一番大切」という価値観は今でも変わらない。幸い、家で仕事をしていると、洗濯機を回しながら、煮物を火にかけながら仕事を進めることができる。平日に遊んで週末に仕事を回すことだって可能だ。
マイペースで暮らすもう一つの理由は、30代後半でうつ病を患い、無理ができない体になったからでもある。回復に向かう時期に書いた『うちのご飯の60年』が、食を中心にした暮らしの歴史の研究を、自分の専門にするきっかけをくれた。
もともと、暮らしの歴史には興味があった。高校時代から民俗学や文化人類学に手を伸ばし、やがて食文化の本を読み漁る。いつの間にか基盤ができていたのである。
また、闘病中に確実にやったと言えるのが、日々ご飯の準備をして部屋を整えることだけだったこともある。震災後、一番欲しいと思っていたものを、人生のどん底で手に入れたのである。生活だけはきちんと積み重ねてきた、という自信が、この仕事に裏付けを与えている。
例えば、家庭料理の歴史を書いたときには、図書館に通ってレシピが載ったたくさんの雑誌を調べ、レシピ本を買い、なぜその時代にそのレシピなのか、そういう特集が組まれるのかを分析した。レシピ情報を紹介する企画のどこにポイントがあるのか、見抜くうえで日々料理する経験が役に立つ。
もちろん、背景にある食文化や風俗、産業の歴史、政治や経済などの知識も必要だ。
特に書きたい現代史は同時代史なので、食のトレンドをチェックする必要もある。その情報は、取材することもあるが、ふだんは街や、テレビ、雑誌、新聞、友人や仕事仲間の話、インターネットから拾い集める。
生活史というテーマは、やがて否応なく生活を回す中心的存在へと私を引き寄せた。つまり「主婦」の役割や立場をどう考えるかである。多少の人生経験や、知識も得て見えてきた新しい姿について、次回は書いてみたい。
初出: 2017年9月29日日本経済新聞夕刊