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尊敬する主婦たち

2022-07-10||阿古 真理

私には尊敬する主婦が3人いる。そのうち2人は、中高生時代からの友人で、恋の悩みも結婚相手を決めた理由も打ち明け合った仲だ。竹内まりやの歌詞ではないが、「彼より知っている」お互いの過去がある。

しかし、彼女たちはある時期から悩みをあまり報告しなくなった。新婚時代を故郷から離れて過ごした彼女たちは、結婚生活や子育ての経験を通して、孤独との付き合い方を学んだのだ。そのことに気がついたのは、彼女たちから数年遅れて結婚し、東京でカルチャーショックを含む孤独に直面したときだ。

私は耐え切れず、彼女たちに何度も電話してはおしゃべりに付き合ってもらった。面倒がらずにおしゃべりを楽しみつつ、深入りしないその態度に、彼女たちの成長を感じた。

もう1人は、夫の兄と結婚した義姉である。夫の実家の近くに住む義姉は、飾らない人柄で明るく、料理が得意。2人の息子の母でもある。

遠くに住む私は、家族の用事を任せきり。「手伝えなくてすみません」と謝るたび、義姉は「真理さんは仕事があるんやもん、気にせんとって」と言ってくれる。それが心からの言葉であることも、やがて分かってきた。

帰省の折、皆で囲む食卓には必ず義姉の唐揚げがある。肉が苦手な義姉が育ち盛りの息子たちのために、ひんぱんに作っていると思われるそれは、少し甘めのしっかりした味わいで、安定したおいしさだ。

友人たちと義姉は、人生の折々に訪れる苦しい時期を逃げずに受け止めてきたからだろう。歳を重ねるごとに、頼もしい人になっている。

それは、主婦である彼女たちに、仕事という逃げ場がないことも関係しているかもしれない。

仕事は、有限責任である。責任を持つ範囲を超えたところは関係ない、と切り捨てることが許されるのだ。むしろ、切り捨てることが、健全に仕事を続けるうえで必要である。

しかし、家族は人生を分かち合う相手であり、生活は待ったなしの現場だ。理想は家族全員が関わることだが、それが無理でも誰かが責任を引き受けなければならない。子育ての責任を女性に押し付けてきた社会構造の問題もあり、その役割を引き受けてきた主婦は多い。

1人で暮らしていても予想外の事態は起こるのに、家族がいればその何倍も「事件」が起こる。特に子供は、思い通りにならないうえ病気やけがもする。しかも、彼らの人間形成に親は決定的な影響を及ぼす。

私の知る3人の主婦たちは、そういう役割から逃げずに引き受け、さまざまな局面を一つ一つ乗り越えてきたのだ。その結果、人生と家族がもたらす喜びも享受することができたのだろう。垣間見た彼女たちの人生から、他者を肯定する包容力から、彼女たちが得た豊かさを想像する。

自分を全力で愛してくれる子供、その成長を感じる瞬間の喜び。つらいときに寄り添ってくれた夫。彼らの世話を焼く幸せ。太陽の匂いを吸った布団、食べてみたいと作った料理の味。それを喜んで食べる家族。

主婦とは単に家事や育児をするだけの存在ではない。お金と引き換えにできない価値を持つ責任を、たくさん引き受ける人たちである。このような側面を、若い私は知らなかった。しかし、あの頃知った、主婦は自らを養う経済力を持たない、という事実は残る。その問題については、次回に稿を改めたい。

 

初出:「日本経済新聞」2017年10月6日夕刊