子どもの頃から身近にあったミックスジュースが、関西ローカルのものかもしれない、と気づいたのは、1999年に東京へ引っ越し、サンマルクカフェで、「大阪ミックスジュース」というメニューを見つけたときだった。そういえば、東京の喫茶店では見ないドリンクだ。しかし、大阪ではどこにでもあるもので、日常に溶け込んでいた。広告会社に就職した1991年、新人研修期間中にも一つ思い出がある。
同期のS君が、「阪神(百貨店)の地下にうまいミックスジュースの店があるねん」と言い出し、ぞろぞろとみんなでついていったところ、駅のスタンドに到着。喫茶店だと思っていた私たちは、「スタンドやん!」と文句を言った。でも、せっかく連れてきてくれたので、みんなでジュースを立ち飲みした。ツッコまれたときのS君の困ったような表情は、今でも記憶に残っている。関西のミックスジュースの材料は、牛乳、砂糖、バナナが基本だ。ミカンやモモの缶詰を加える場合もあるし、インターネットで検索したら、アイスクリームを入れるレシピもあった。でも、定番はバナナと牛乳の味が立っている、喫茶店のミックスジュースだった。
私は、バナナ味が苦手だった。いや、今でも苦手で、バナナケーキをいただくと困ってしまう。気持ちだけをありがたくいただき、ケーキはお茶で流し込むように飲み込んでしまう。くださった方、ごめんなさい。
そもそもバナナ自体、得意ではない。一度だけ、最高においしかったバナナの思い出があるが、その話をすると本題からそれるので今回は置いておく。バナナとバナナ味が苦手なのは、何より炭水化物然としたもっさりした甘味である。果物なのにちっともさっぱりしていない。台湾ではさっぱりした味のバナナも売っているが、日本で売られているのはねっとりした濃厚なものばかり。食べ応えのあるこの果物は、おやつというより食事ではないか。実際、アフリカや中南米、アジアでは、バナナを食事にする地域があるらしい。あの食べ応えたっぷりで、栄養満点な感じは、やっぱり食事よね。しかも、食事用バナナはそれほど甘くないらしい。そんな文句ばかりつけているアンチバナナな私が、唯一気に入ったミックスジュースは、モモの存在感が強い、オレンジ色でさっぱりめのものだった。
そのジュースを飲んだ場所は、喫茶店ではない。1990年、バブル最後の年の採用試験の場だった。しかし私は、金融系のその会社に入社する気は毛頭なかった。受けた理由は、面接試験の練習と社会見学のため。後輩世代はそんな理由を聞くと怒るかもしれない。でもあの時期、社会見学を兼ねて就職試験を受ける学生は結構いたのである。それに、私が通っていた女子大では、あまり就職活動についてのていねいなレクチャーがなかった。だから、早い時期から面接を始めた会社で練習を兼ね、社会人のマナーを覚えていくしかなかったのである。最初の面接試験は男子学生と二人だったので、彼の挨拶を横目で見てやり方を覚えることができた。
その面接で出されたのが、モモの割合が多いミックスジュースだったのである。「このミックスジュースは、バナナが少なくておいしい!」。密かに私は感動した。そして、そのジュース飲みたさで、その後も面接に通い続けた。「次は最終面接です」と電話で言われてハッとした私。このまま行けば、まるで興味がない金融会社の営業ウーマンになってしまう。私の将来の志望は物書き。まずは広告会社で修業しよう、と入念に受ける会社を選んでいた。ミックスジュースは名残り惜しいが、このままでは人生が変わってしまう。あわてて「申し訳ありません。他で内定をいただいてしまったので、辞退させていただきます」と嘘をつき、その会社とは縁が切れた。
試験が苦手で特に面接が苦手な私は、全部で10社も受けていない。試験のたびにひたすら疲れ果て、どこで何を聞かれどんな雰囲気だったのかも、何も覚えていない。だけど、あのミックスジュースの爽やかな味だけは、忘れられないのである。部屋の黒っぽい壁に、オレンジ色のジュースは輝いて見えた。なぜあの会社はコーヒーやお茶でなく、ミックスジュースを出したのだろう。そして定番と異なるモモ味にしていたのだろう。聞いてみたいが、もうそんな機会はない。その後、私はミックスジュースと再び縁が遠くなった。何しろ普通はバナナ味なのだ。モモじゃない。モモ味に出合える可能性にかけて、何回もバナナ味を飲むのは嫌だ……。
ところが最近、大阪に行って喫茶店に入る機会があると、ミックスジュースを注文するようになった。モモ味に出合いたいからでは、もちろんない。東京に喫茶店は少なくなったが、大阪には昭和から続く店がたくさんある。大阪弁が飛び交う昭和な店に入ると、青春時代のいろいろな思い出が心に浮かぶ。そんな場面にふさわしいのは、記憶の底に沈んでいる幼い頃の風景と結びつく、甘い味と黄色い色のミックスジュースではないか、と思うようになったからである。
初出:『あまから手帖』2019年2月号