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積み重ねる時間

2022-07-18||阿古 真理

ここ数年、保存食作りにハマっている。長年作っているいちごジャムと梅干しに加え、夏みかんのマーマレード、りんごジャム、梅ジャム、梅酒、味噌まで作る。

ジャムを詰めたビンを並べ、あるいは梅をベランダに干して眺めていると、何だか豊かな気分になる。

出汁を取った昆布に醤油などを加え、30分ほど煮詰めて佃煮にするときもある。コンロを一つ占領し、ときどき確認しないと鍋が焦げつく佃煮作りは、時間と気持ちの余裕が必要である。あわただしく夕食を作る時期の昆布は、ゴミ箱行きとなる。

そのとき気がつくのは、必要に迫られてもいない保存食作りは、趣味か自己満足に過ぎないことである。

忙しいときは、料理の「ひと手間」が限りなく面倒に思える。例えば、もやしのひげ根を取らなかったり、皮をむくのが面倒なサトイモを放置し、駄目にしてしまったりする。

それでも私は、家が職場なので仕事の合間に家事ができる。ひと通り家事ができる夫と分担もしているし、子供がいないのでやることも面倒くさいことも少ないと思う。

残業が多い会社員、あるいは手がかかる幼児を2人も3人も抱えている人、要介護の家族がいる人は大変だ。家事の一部を外注したり夫や実家などに頼らなければ、仕事との両立が難しいと想像はできる。

働き続ける将来しか想像できなかった若手会社員の頃、仕事は夜中にするとか、授乳しながら眠るといったワーキングマザーの体験談を本で読み、体力がない私には無理と、早々に子供を持つことを諦めた。

逆に両立は無理、と主婦生活のほうを選んだ女性たちも多い。私の周りには、そういう主婦がたくさんいたし、健康上の事情から主夫をしている男性の友人もいる。

しかし、主婦(主夫)を選ぶことはリスクでもある。自らを養える収入を持たない彼女・彼たちは、夫や妻が健康で離婚・死別が当分ない前提で暮らしを回す。日本では、特に女性が再就職したり、仕事と生活を両立させることが難しいからでもある。

では、自分が働いている人は大丈夫かというと、病気やけが、家族の介護、失業などで、キャリアを中断せざるを得ない場合はある。主婦と同じリスクは誰もが抱えている。

生活を整えようと思えば思い切り働くことはできず、キャリアを積もうと思えば生活を後回しにするか他の誰かに任せなければならない現実は、女性も男性も同じである。

このことが問題だ、という認識が近年急速に高まっているのはうれしい。長時間労働で人が失うものは多い。家族と、友人と過ごして関係を育む、家事をする。趣味を楽しみ、休養する。そういう時間がなければ、日常を味わう余裕を失ってしまう。

生活は、眠って起きて食事をし、家事をして部屋を整え、家族と会話する、そして仕事をして他人のために汗を流す、といったささやかな事柄で成り立っている。その積み重ねが人生だ。保存食作りは、生活を楽しむ時間を持てた証だから、作ったときに豊かさを感じるのである。

他人のために奉仕するだけの生活も、家族のためだけに奉仕する生活も、それがどんなにやり甲斐のあるものであっても、物足りなくなりがちである。それは結局、人が人生を分かち合う喜びも、人の役に立つ手応えも、両方必要としているからではないだろうか。

 

初出:日本経済新聞夕刊2017年10月13日