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書評 崔岱遠著、川浩二訳『中国くいしんぼう辞典』(みすず書房)

2020-09-06||阿古 真理

4月初め、旅行で行った台南で、地味な店に大行列ができているのに出くわした。何事かと思っていたが、夕方のニュースから、墓参り行事の清明祭の際に食べる「春餅(チュンビン)」を買う行列だと分かった。

本書によると、春餅とは、手のひらサイズで紙のように薄いクレープだ。季節の野菜を巻いて食べる。通常は青ニラと火焔ほうれん草の炒め物を添える、とある。

中国各地のさまざまな美味を、作り方から故事来歴まで、幅広い視点から書いた本だ。タイトルに「辞典」とあるが、随所に著者の体験が挟まれたエッセイ集である。

北京っ子の著者が、哀惜を込めて書くのは北京の食。例えば、豚モツの煮込みの「滷煮小腸(ルージューシアオチャン)」はかつて、人力車車夫が小腹を満たすストリートフードだった。特に冬、たぎった鍋から漂う濃厚な熱気と香りがよい。しかしこの料理は今、大半の北京小吃の店が扱わない。店を商うのが、豚肉を食べないムスリムばかりになっているからだ。

グルメ番組の撮影でレストランへ行き、年越し料理の一つ、シロウリの醤油漬けと豚肉のさいの目切りを炒めた「醤瓜炒肉丁(ジアングアチャオロウディン)」を作ってもらったときのこと。「メニューに加えてみては」と提案するディレクターに店主は、1時間以上かかる料理を待てる客がいないし、値段が高くなり過ぎる、と笑ってかわす。

北京料理は、一般的な食材で、手間と時間をかけて作るところに特徴がある。しかし、手っ取り早く儲けることばかり考える現代人相手のレストランで、本場の北京料理は食べられないと断じる。

一方、地方の美味については、現地の昔ながらの食べ方に出合った体験が印象的に描かれる。

内モンゴルの「手把肉(ショウバーロウ)」は、羊肉の塊をゆでたもの。特有の臭みが少ないのは、草が香り強い火力が出る干した牛糞を燃料に使うからだ。

杭州の甘酢風味のソウギョのゆで煮、「西湖醋魚(シーフーツーユー)」。自分でも作ろうと試すが、どうしても「あのすがしく甘い風味が出せない」。そこで再訪した折、地元の人に聞くと、西湖のソウギョを西湖の水に入れて泥を出させないと、泥臭さが取れないのだ、と教えられる。

変わりゆく都会と持ち出し不可能な地方料理の奥深さ。世界三大料理の国に数えられる中国の多彩な素顔が、浮かび上がってくる。

 

初出:「日本経済新聞」2019年11月30日