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書評 湯澤規子『胃袋の近代』(名古屋大学出版会)

2020-07-15||阿古 真理

地方から都市に人口が流入し、工場が各地にできる。人の移動が激しくなった大正時代
を中心に丹念に資料を調べ、庶民の外食文化とその背景を掘り起こした労作である。
外食は、食料を大量生産するシステムなしには成立しない。当時の一膳飯屋、工場の給
食、残飯屋などで使う食材は、誰がどのように提供したのか。
ご飯と味噌汁、漬物という女工たちの工場食の場合。漬物のたくあんは、工場で大量に干
し大根を購入し、漬けられていた。
干し大根を供給するため、愛知県では宮重大根が、東京では練馬大根が盛んに栽培され
るようになった。やがて、たくあんを漬ける最適なサイズに育てる品種改良が進む。
食の洋風化が始まった都市では、その他の青果物の需要も拡大。そこで、特定の蔬菜を
栽培する近郊農業が発展した。稲作を中心に機織りなどを兼業していた名古屋市近郊の農
家は、多品種の蔬菜を中心にした農業専業になった。それは、機織りが工場の機械織機に
代替されたからでもあった。
こうして大量生産、大量消費が進んだ社会では、市場システムが複雑になる。そのため
、「ときに思いがけない食料価格の高騰を招くこともあった」。
食べるに困る人達を産む社会の急激な変化に対応して、食を提供する福祉活動が始まる
。公設市場、公営食堂などのほか、私設の孤児院や保育園もできた。そうした社会事業を手
がける人々への注目が、本書のもう一つの核になっている。
残飯屋は、劇場や料理店、遊郭、学校、病院、工場などから出た残飯物を扱う。それは、
食が余る豊かさと、日々の食に事欠く人々の存在があって成立した仕事である。著者は、
残飯屋の中に、貧しい人々から信頼される人がいた点に注目する。
それは、現代の訳あり食料を集めて配るフードバンクや、子ども食堂を彷彿させる。社
会が変動し、貧富の差が拡大すると、その間を埋めようとする人々が現れて活動を始める
。それは人間の良心の表れでもある。

 

初出:茨城新聞2018年9月9日ほか 共同通信社配信