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時感旅行 2 

2019-07-29||阿古 真理

祭り、蝉捕り、冒険……夏は子どもたちにとって
特別な体験ができる忘れられない季節だ。
いつの時代も変わらない子どもたちの後ろに、
その時代、その土地特有の風景が写り込む。
優れた作品では、そんな写真の醍醐味が味わえる。
61年前の夏、子どもが居た世界を覗いてみよう。

1953年の子どもたち。

昔、子ども時代は短かった。小学校へ通えない子どもが多かった明治時代はもちろん、集団就職があった1970年代まで、10代半ばから働く者が大勢いた。就職までしなくても、学校から帰ったら家の手伝いをするのは当たり前のことだった。
 子どもが、大人社会から隔離され保護されて、ナイフ一つも使わせてもらえない、外遊びも自由にできない時代がくるなんて、この頃の人びとは思いもよらなかっただろう。敗戦から8年、半袖の季節をとらえた長野重一の作品2枚を今回はご紹介する。
 左は、島根県隠岐諸島の祭りの日が舞台。山間の道を、駆けてゆく少女たち。先頭のよそ行きのワンピースを着た女の子は、目指す何かを見つけたところだろうか。満面の笑みや、蹴り上げた脚に喜びが表れている。つづく二人の顔は、姉妹なのかよく似ている。その後ろの二人組はお揃いの洋服で、明らかに姉妹とわかる。この時代、着るものは基本的に家で縫っていた。お母さんに寸法を測られ、洋服ができあがる様子をちらちら見ながら、彼女たちは着せてもらえる今日を待ち望んでいたのだろう。

 農山漁村が近代化の波に洗われて過疎化が進み、子どもの声とともににぎやかな風景が失われていくのは、高度成長期の半ば以降。この頃はまだ、祭りは村中総出で準備し、羽目を外せる限られた日だった。日常を厳しい労働で明け暮れて過ごすからこそ、ハレの日が待ち遠しいのである。

 右の写真は同じ年、長崎県佐世保市の路地裏を切り取っている。テレビが普及する前の昭和前半、鳴り物とともに決まった曜日、決まった場所に現れる紙芝居は、町の子どもたちが待ち望む楽しみの一つだった。

 不思議なことに、その頃子どもだった人たちに紙芝居の中身を聞くと、ほとんどが「覚えていない」と答える。その理由がこの写真に写る少年少女を見ると分かる。紙芝居に夢中になるのは、小学校に上がるか上がらないかの年代が中心なのだ。その後の世代も、その年頃で夢中になったテレビ番組の内容は、ほとんど覚えていない。そういえば、この食い入るような表情は、昭和の後半にテレビにかじりついていた子どもたちや、平成の今、ゲーム機を覗き込む子どもたちにそっくりだ。この作品から、「画面に見入る」という人の普遍的な行動を読み取れるのは、紙芝居を上演する人の姿が右端で切り取られ、写っていないからである。 
 占領は前の年に終わったはずなのに、米兵の姿が見えるのは、米軍基地が残された佐世保市だからだろう。どこにでもあった風景に、どこにでもは居なかった人びとの姿が混じる。よく見ると右側の建物はバラックのようだし、地面も土、子どもたちの服装も質素だ。戦争の名残が色濃く残る時代であることが、一枚の写真にしっかり焼きつけられている。
 それにしても紙芝居に群がる子どもたちの態度は、何と自由なのだろう。何を見つけたのか、せっかく特等席にいながら別の方向を見つめる少女もいれば、しっかりカメラに気がついて笑顔をつくる少年もいる。眉を寄せた少女やぽかんと口を空けた少年の表情からは、たぶん、今物語がクライマックスなのではないかと推察できる。
しかし、個性豊かなのは、本当は子どもだけの特権ではない。常識をわきまえたはずの大人たちも、夢中になるものに対する態度は人それぞれだ。誰の心の中にも永遠に残る子どもを、個性と呼ぶのかもしれない。

掲載写真

長野重一「祭りにゆく少女 島根 隠岐」1953(昭和28)年
長野重一「紙芝居を見る子どもと米兵 佐世保」 1953(昭和28)年

初出『TRANSIT』(講談社)2014年夏号