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天神祭とたこ焼き

2021-05-16||阿古 真理

関西の夏は祭りで本格化する。梅雨が終わりを告げる時期、不快指数は頂点に達する。蒸し暑さで人が体調を崩し、モノが腐る。そんな大変さはおそらく昔からで、7月にメインイベントが行われる京都の祇園祭と大阪の天神祭は、疫病神の退散を願い平安時代に始まっている。

兵庫県育ちの私は、祇園祭は一回しか行ったことがないが、天神祭は何度も体験した。何と言っても、勤めた会社が、見せ場の花火と船渡御会場となる大川の近くにある。

バブルが崩壊したとは言え、まだ世の中の雰囲気がそれほど暗くなかった1990年代前半、働いていた広告制作会社では、社を挙げて祭りに没頭していた。といって、船渡御のスポンサーに加わっている訳ではない。全フロアを借りている小さなビルの屋上から、花火がちらっと見えるから、と祭りに便乗して夜、屋上で騒ぐのだ。

いつもはワイシャツの男性たちが、この日はTシャツ姿になる。半被にねじり鉢巻き姿になって、社内を行ったり来たりする人もいる。会議室も、料理や道具の準備室になる。会社全体がお祭りムードに包まれ、打ち合わせに来た印刷会社の人たちも「お、天神祭っすか。いいっすねえ」と呑気に言って、汗を拭く。

上司の女性が「私は沖縄産やねん」と自分のルーツを語り、いつの間に注文したのか、箱入りオリオンビールを山と積む。人の顔をまっすぐ見ないシャイな隣のチームの男性上司が、ワイシャツをまくり上げ、ねじり鉢巻きをしてヨーヨー釣りの準備に張り切る。私は先輩の女性Iさんと、巨大なボウルに卵と小麦粉と水を入れ、たこ焼きのタネを仕込む。

定時の18時過ぎから、三々五々屋上に集まっていく。いつの間にか屋台が数台出ている。Iさんと私は、そのうちの一つで料理上手な男性の先輩と3人でたこ焼きを焼き始める。

実はたこ焼きを焼くのは、初めてである。でも、ちゃんと最初からくるりとひっくり返すことができた。何しろ祭りに出かけるたびに、たこ焼きの屋台を飽かず眺めてきたのだ。心の中で何度もシミュレーションして育ったから、コツは心得ている。見るべきポイントは、縁のところ。タネが白っぽく固まり始めたら、金串を差し入れる。

調子よく焼けるので、Iさんと私は「いつでも屋台引いて暮らしていけるで」「先輩、一緒に店を出して全国行脚しましょう」と盛り上がる。

ついにたこ焼きは完売(社内行事なので、実際はタダ)。ところが、ボウルに大量のタコが余っている。すかさず、同期の男性が「よっしゃ、これがホンマのたこ焼きや」と言って、鮮やかな手つきでタコに塩を振り、たこ焼き器の鉄板で焼き始める。その香りに釣られてまた人が集まり、こちらもなくなる。

とうの昔に花火は終わり、人がだんだん減ってくる。だけどまだ夜の10時。駅には、祭りの余韻を楽しんだ観光客は溢れているはず。今夜は電車が空く夜中を待ったほうがいいよね。誰かが言い出し、結局いつもの飲み屋へ繰り出す。

何年前だったか、今も会社に残っている同期の男性と一緒に仕事したことがあった。私が懐かしがって天神祭の話をしたら「そんな時代もあったな」とあっさり言われた。社長が交代していろいろなことがシビアになり、社を挙げて祭りに興じることはもうないらしい。

 

初出:日本経済新聞2017年7月21日夕刊