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私の上京物語

2021-09-13||阿古 真理

去年(2016年)公開された映画『ブルックリン』は、1950年代のアメリカ、ブルックリンが舞台の作品である。

主人公は、地元のアイルランドの小さな町は不況で安定した職を得られず、ツテを辿って海を渡った若い女性。地味で口数の少ないエイリシュが、戸惑いながら高級百貨店店員の仕事を覚え、ホームシックを乗り越え、やがてゆっくりと恋をする。

後半、地元に帰省したエイリシュは、いつの間にかすっかり垢抜けており、注目の的になる。以前憧れていた人まで近づいてきてフラフラと迷う。見ているこちらが、ブルックリンで待つ婚約者に同情してしまう。大丈夫か、エイリシュ!

最終的にエイリシュは、一つの道を選ぶ。そのきっかけに毒が効いていていいのだが、ネタバレになるのでこれ以上は書かないでおく。

映画に、ここがニューヨークにある町だと感じさせる要素は出てこない。ニューヨークという個性的な街のイメージに引っ張られないので、都会に出た人がエイリシュの歩みに自分を重ねて観ることができる。都会生活の戸惑いも、ホームシックも、帰省した折の居心地の悪さも。これは世界共通の上京物語なのだ。

私が本作を観たのは、東京は東急線の二子玉川のシネコンで平日だった。上映が終わって電気が灯ると、周りには沿線に家をお持ちと見えるシニアカップルがたくさんいた。いつもなら、何とも思わないその人たちに、その日はなぜか親近感を覚える。彼女や彼もエイリシュと同じように故郷を離れ、東京で所帯を持ったのかもしれない。

私は、1999年に30歳で関西から東京に来た。5年間もカルチャーショックから抜け出せず、東京の悪口を言い続けた。

例えば、東京の夕暮れは早過ぎる。夏でも雨が降ると寒くなるなんて、おかしい。冬が長過ぎる。人が多過ぎて、目の前の信号が変わろうとしているのに渡れない。味つけが濃い店が多い。冗談が通じない。話のネタとして失敗談を披露したつもりなのに、同情されてしまう……。

何より、大阪だって都会だったはずなのに、規模とスピードが違い過ぎることに戸惑っていた。

何度、もっと早く東京に来ればよかったと後悔したか。30歳といえばもはや中年の入り口。すっかり育ち上がって適応力が弱まっている。

一番つらかったのは、なかなか友達ができなかったことである。人を地域につなぐのは、まず人である。そこに暮らす人間として受け入れられなければ、いつまでも宙に浮いたような孤独が消えない。観光客、もしくはビジネス客として「役に立つ」機能しか評価されないようで居心地が悪い。今考えれば、東京に敵意を向けている人に、東京の人が友達になってくれるはずがないのだが。

10年ほど前だったか、新大阪から乗った新幹線の品川駅で改札口に向かって歩いている途中、「帰ってきた」とホッとしている自分に気がついた。少し前までは、品川駅は戦闘モードに切り替える場所だった。

東京へ遊びに来ていた20代の頃も、そうだった。当時は新幹線の品川駅がなかったので、入り口は東京駅。浜松町あたりで到着の音楽が流れ、「東京に着いた」と自分に活を入れるのがお約束。大都会に負けないよう、しっかり気合を入れなければ、毎日を生き抜くことができなかったのである。

 

初出:日本経済新聞夕刊 2017年8月18日