鉄腕アトムが実在すれば、今年で11歳。
都心の風景は、あの頃描いた未来に到達したが、
タイムマシンの実現へはいまだ遠い。
でも、過去へ旅する切符がないわけではない。
例えば、優れた写真家の作品がその一つ。
写真家が写した“SHOWA”にタイムトリップ。
制服姿のウエイトレスが、岡持ちを持って道路を突っ切る。こののどかな風景の現場は、なんと新宿のど真ん中である。しかも、明らかに幹線道路なのに、舗装もされていないし、周りの建物も低い。自動車の丸みを帯びたクラシックなデザインが、何だかおしゃれだ。乗っている人も、きっとよそ行きを着ているのだろう。
広い空一面に張り巡らされているのは、路面電車の架線である。路面電車が「交通渋滞の原因」と邪魔者扱いされるようになる前の時代で、行き来する自動車の数も少ない。だから、横断歩道でもないこの場所を、彼女たちはショートカットして渡れるのだ。
それにしても、ウエイトレスたちの表情の晴れやかなこと。そんなに楽しそうに仕事をされたら、注文した料理を受け取った人も、つられて思わず笑顔になったことだろう。
この写真が切り取った時間は1955年である。撮影した長野重一は、1945年の敗戦からこの頃までの10年間を振り返り、「エアポケットのような空白ともいえる平穏な時代で、アメリカから与えられた民主主義の幻想みたいなものの中でわりとのどかに暮していたような気がします」と語っている。(『日本の自画像 写真が描く戦後1945―1964』より)
長野重一は、毎号ワンテーマを取り上げるビジュアル百科事典『岩波写真文庫』の写真スタッフとして活躍した後、1954年に独立して総合雑誌や週刊誌、カメラ雑誌などで精力的に仕事をした写真家である。
週刊誌ブームといわれた時代。テレビもまだ普及率が低く、写真を使ったビジュアル報道が、大きな影響力を持ち始めた。その最前線に立った長野は、客観的に解説しようとする従来のやり方とは一線を画し、個人の視点で切り取る新しいフォトジャーナリズムの地平を切り拓いた人である。
右ページの写真は、のちに『ドリームエイジ』という本に収められる高度成長期の渦中をとらえたシリーズの一作である。撮られたのは1959年。左の写真からわずか4年後の同じ東京なのに、晴れやかさがまるでない。画面上部を広く覆う石垣が、いっそう空気を重くしている。
おそらく仕事を終えたところだろう丸の内の会社員たちの顔つきは険しく、今日も精神的に疲れる一日だったのだと思わせる。こんな表情は、今でもオフィス街や通勤電車の中で、いくらでも見ることができる。
高度成長期も半ばになると、小さな商店や工場が次々と規模を拡大し、会社組織に転換していった。そしてこの頃、会社員などの雇用者が働く人の半数を超える。つまり、サラリーマンが多数派になったのだ。
大きな組織は、社員の足並みを揃えるためにルールを厳しくするし、取引の規模も大きい。一方で個人の存在は小さくなる。組織の歯車になった人間は、自分の意志や感情をある程度殺さなければ適応できない。
改めてこの作品を見れば、写っている人びとの顔がまるで無表情なことに気がつく。人間として「これはおかしい」と考えることをやめている人たちの顔つきだ。
もう一度左の写真のウエイトレスたちの顔をよく見てみよう。彼女たちの表情の晴れやかさは、自分らしく働いていられることに対する誇りからきているようにも見えないか。
それでは、今度は鏡を覗いてみよう。あなたの顔には、自分らしい表情がちゃんと残っているだろうか。
掲載写真
長野重一「出前のウエイトレス」東京 新宿 1955(昭和30)年
長野重一「5時のサラリーマン」東京 丸の内 1959(昭和34)年
長野重一(ながの しげいち)
1925年大分県生まれ。1947年慶應義塾大学を卒業後、サン・ニュース・フォトスを経て1949年『岩波写真文庫』の写真部員となる。1954年にフリーとなり、雑誌や映画、CMなどで活躍。写真集に『ドリームエイジ』、『遠い視線』など。1993年紫綬褒章受章。2006年日本写真協会功労賞受章。
初出『TRANSIT』2014年春号