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一九九〇年、朝里駅

2019-11-25||阿古 真理

初めて一人旅をしたのは大学四回生の夏休み。行き先は北海道だった。
当時はブルートレインが現役で、旅費を節約するためと、「夜行」という言葉の文学的な響きに惹かれたことから、乗ってみることにした。
大阪駅発夕方の列車で、京都の美術大学の女の子たちと乗り合わせる。すぐに仲良くなって、函館の初日を一緒に巡る約束を交わす。彼女たちがマネキン作りのアルバイトをしていると聞き、「手に職がある人ってすごいなあ」と、感心する。

夜中は乗り換え客がおらずノンストップかと思っていたら、ぜんぜんそんなことはなく、何度も停まる。そのたびに車両がガックンと揺れるので、薄い眠りから覚めてしまう。そもそも狭い寝台のシートは、寝心地が良いものではなかった。
結局眠るのを諦めたのが明け方。通路に出てベンチシートに座り、明けていく東北の広い大地をぼんやりと眺めていた。なぜか白い風景が、今でも記憶の底に貼り付いている。
函館観光の初日は、「旅は道連れ」を地で行く出会いと寝不足のハイテンションで終わる。余勢を駆って、1人になった2日目も満喫。一人で何でもできる気になって乗り込んだ札幌の巨大さに、圧倒された。

広い道がまっすぐ延び、左右にドーンと背の高いビルが立ち並ぶ。平野部が狭い地元関西で、方角を確かめる目安にする山がない。ちっぽけな身の置きどころを失う。
見てみたかった時計台は、ビルの谷間に埋もれているようにしか見えない。その姿が、都市化に取り残された『ちいさいおうち』の絵本の家を思い起こさせた。
大きな荷物を抱えたままうろうろした疲れが出て、向かい側のビルの下にあったベンチで休んでいるうちに眠ってしまう。しかもその間に雨が降り出す。夕食をとる店を探すのも面倒になり、コンビニでカップラーメンを買って、ビジネスホテルの一室でわびしい食事を済ませる。

翌日は荷物を預け、札幌から電車で約40分の小樽行きに乗る。札幌には夜10時、釧路行きの夜行が出る前に戻ってくればよいので、1日小樽観光を楽しむ予定だった。
車窓から、前日の雨のせいで大荒れの海が見えてきた。列車はやがて海岸べりを走る。演歌の世界のような、寄せては返す大波。その景色をもっと近くで観たくて、小樽駅に着くとすぐ、駅員さんに「一番海に近い駅はどこですか」と尋ねる。

すぐさま折り返す次の各停に乗り、教わった通り、三つ戻った先の朝里駅で降りる。確かに海は目の前にある。しかも無人駅なので人に見咎められる心配もない。線路をまたいで砂浜に降り、カメラをカバンから取り出して海を眺める。次から次へと、形も大きさも違う大波が来るので見飽きない。夢中で何枚もシャッターを切っていたら、フィルム1本使い尽くしてしまった。
ふと我に返り、周りを見渡すと本当に独りきりだと気づいて気持ちよくなる。長いスカートの裾が解けている。ポーチから裁縫セットを取り出し、裾をチクチク縫っていくうちに、前日とは打って変わって楽しい気分になってくる。好きなように振る舞う「自由」を得たのだ。

あれから四半世紀。出張も含めて出かけた先は、41都道府県を数える。でも、あのときのささやかな一歩で得た解放感を超える体験は、その後ない。

掲載) 「日本経済新聞」2017年7月7日