ふと思い立って、生まれて初めて鶏の唐揚げを作った。
レシピ本を見ながら、片栗粉、酒、醤油などを合わせた中に鶏肉を入れる。中華鍋に油を熱し、たねの一部を菜箸に取って油に落とす。すぐに沈んで浮かび上がってくる。よーしとばかりに、次々と鶏肉を投入。箸で適当につつき、ひっくり返す。両面がこんがり茶色になると引き上げ、広げたキッチンペーパーの上で油を切る。
思った以上に簡単だった。そういえば、天ぷらもこれまで数回しか揚げたことがないが、少なくとも、味はおいしくできた。揚げものは得意かもしれない。
一方で、煮ものは下手だ。簡単なはずの肉じゃがをマスターするのに、10年かかった。芋の煮っころがしは、居酒屋でしか食べたことがない。里芋や大根、ニンジンなど根菜の煮ものは冬のわが家の定番メニューだが、全部に火が通らないのでは、と心配になるので、毎回汁に具材が浸かり切ったポトフ状になる。テレビや料理店で見るような、煮切った状態はどうやったらできるのだろう。分からないのは、手持ちのレシピ本に、その手の料理名もないような煮ものの作り方が載っていないせいもある。
ひんぱんに作る煮ものに苦手意識があるのに、なぜほとんど作ったことがない揚げもの系は、できてしまうのか。そこに今回のテーマが登場する。
実は私は母と折り合いが悪く、料理の作り方を聞くことがほとんどなかった。母が私に料理を仕込もうとした10代には、もう親の言うことに耳を貸さなくなっていた。レシピ本や、外食で覚えた味、そして夫の好みが加わった私の料理は、母の味とは程遠い。並べるものも違う。そんな私の原点は、それでも母が整えた食卓にある。
揚げものが作れるのは、幼い頃、ドーナツや天ぷら、カレイのフライ、コロッケなどを揚げる母の作業をずっと観ていたからだろうと思う。母の作るたねの柔らかいドーナツに、お店の味はかなわなかったし、コロッケや天ぷらも大好きだった。たねの残りを舐めさせてもらったり、熱した油の中で、衣がクリーム色から茶色に変化していくさまを観ているのも楽しかった。
作るところを飽きることなく眺めていたから、作った経験がなくても、感覚的に正しい手順を踏んで揚げものを作れるのだと思う。逆に煮ものを作っている姿は観た覚えがない。うちの食卓に、根菜類の煮ものはあまり載らなかった。
母が積極的に作らなかった理由の一つは、私と妹が子どもの頃、煮ものを嫌っていたことがある。ハンバーグやコロッケといった、肉やケチャップの強い味に慣れた子どもに、和食や野菜の繊細な味はなかなか分からない。おでんの大根をグズグズ食べる私を観て、母の士気は大いに下がっただろう。
それでも野菜は食卓に載り続けた。中高生時代、母が作るお弁当の定番だった、油揚げの薄切りが入ったひじき煮は、家を出て最初に覚えた和食の一つだ。
そういえば、お弁当生活をしたあの頃、母は「金曜日は好きなモノを食べなさい」と言って、お金を渡してくれた。私は大喜びだったが、今振り返れば、それは母がお弁当作りを休む手段でもあったことに気づく。母もうまく手抜きをしていたのだ。
大事なのは、作り続けてくれたことだ。おかげで食べるものは作るのが当たり前と刷り込まれ、今私は仕事がよほど立て込んでいるとき以外、ご飯を作る生活をしている。
自分や家族の好きな食材を選んだり、体調に合わせて料理を考える。失敗することもあるし、作るのが面倒でサボることもある。でも基本は作る。そうやって食卓を囲む積み重ねが、家族の関係を育てていくのだと思う。
初出 『PHPのびのび子育て 子どもが変わる食卓の魔法』2014年6月特別編集号