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主婦と仕事

2022-03-06||阿古 真理

1970年代に小学生時代を過ごしたせいか、「主婦」という言葉にこだわりを持っている。女性差別撤廃を求める運動が盛り上がったあの頃、町にはタイトスカートを履き、ショルダーバッグを下げたキャリアウーマンが闊歩していたからである。

私は、彼女たちを「お勤めさん」と呼び憧れた。お出かけのときにたすき掛けするバッグを、左肩で支えようとするものの、すぐずり落ちる。スカートも、肩ひもで吊らないと履けないので悔しい。早く大人になって、ウエストまでのスカートを履けるようになりたかった。

キャリアウーマンに憧れたのは、主婦である自分を悔しがり、「手に職をつけなさい」とくり返し言う母に育てられたからでもあった。
大学時代は、上野千鶴子さんが脚光を浴びた時期に重なる。しかし、その著作『スカートの下の劇場』は、性的に大胆過ぎる内容と思い、フェミニストになれば一生恋人もできず結婚できないのでは、と怯えた。
それでも、大学で女性学も学び、図書館で女性の問題について調べた。そして、配偶者の病気や離婚その他で、生活保障を失う主婦は、ハイリスクな立場、と認識する。選んだ就職先は、女性の管理職はもちろん、取締役もいる広告会社だった。

しかし、同級生の多くは、明らかに女性の長期雇用を前提としない会社に就職し、やがて結婚退職していく。専業主婦になったものの、離婚危機に直面し、自活の道を探るか耐えるか悩む女性たちにも出会った。
仕事に情熱を持っていた友達も、見えないが確実にある壁を前に退職した。私の世代は、女性の大半がキャリアを断念した男女雇用機会均等法第一世代である。

そういう同世代を歯がゆく思う一方、円満に暮らす専業主婦の友達の家で過ごす時間は心地よかった。「食べていく?」と言われれば喜んで夕食をご馳走になる。
仕事を辞めたいと思っていたわけではない、と以前言っていた彼女に「また働くことが難しくなるのに、なんで子どもを産んだの?」と聞いたことがある。すると、彼女はもたれかかる娘の頬をつまみ、「だってかわいいわよ」と目を細める。もやもやとした気持ちを抱え、誰もいない自分の部屋に帰る。

その頃、私はフリ―ライターとして働き始めたところだった。会社員を辞めた理由はたくさんあるが、きっかけの一つが、晴れた日に布団を干せないことだった。専業主婦になるのは嫌でも、生活を全く整えられないほど働きたくなかった。

一つは、体がすごく丈夫、とは言えないからである。ホコリがいっぱい溜まった部屋にいるとくしゃみが止まらないし、平日にほぼ家で食べられない生活を2カ月送ったときも、体調不良に悩まされたので、手作りの食事も必要である。つまり、誰も家事をしない部屋では暮らせない体なのである。

しかし、家事が得意とは言えない。掃除が嫌いだし、洗濯も適当、料理や買いものが面倒に思えた時期もある。仕事を手放したくなかったのは、働いていれば家事に手を抜いても許されるはず、という期待もあった。
それでも、生活を大切にしたい、と思った最大のきっかけは、人生観がひっくり返る経験をしたことである。1995年1月、阪神淡路大震災で被災したのである。その話はまた次回にしたい。

初出:日本経済新聞夕刊2017年9月22日