先日、アイルランドの民族音楽を演奏して55年のバンド、チーフタンズのコンサートへ行ってきた。夫がファンで、私も20年ほど前から聴くようになったのだが、コンサートに行くのは15年ぶりである。
その間、メンバーの何人かは他界し、79歳のリーダーもお年寄りらしくなった。それでも、次々とゲスト音楽家やダンサーが登場して楽しませるサービス精神は、変わっていない。アイルランドのパブで楽しんでいるような気分に、ひととき浸った。
うつの影響で冷え性がひどい私は、冬になると元気がなくなる。ひたすら春を待ちわびるこの時期、チーフタンズの音楽が、毎年助けになってきた。CDから流れてくる陽気な縦笛とフィドル(バイオリン)の音色を聴くと、薪が赤々と燃える暖炉の側にいるような心地になれる。
心に直接響く音楽は、聴く時期や体調によって受け止め方が変わるから不思議だ。20代は、プリンセスプリンセスの「ダイアモンド」が私のテーマソングだったし、東日本大震災直後は、ドリームズ・カム・トゥルーの「何度でも」に力づけられた。
音楽を聴くようになったのは、高校1年生の夏。同級生から当時の大ヒット映画『フットルース』の鑑賞を勧められ、洋楽にハマったのだ。
当時、神戸の放送局、サンテレビで、「ポップ・ベティ・ハウス」という洋楽のプロモーションビデオ(PV)を紹介する番組があったので、すぐに毎週観るようになった。
あの頃はPVの隆盛期で、映画みたいなマイケル・ジャクソンの「バッド」、マンガと組み合わせたa-haの「テイク・オン・ミー」など、斬新な映像も次々と登場した。映像の鑑賞も楽しみの一つだった。
シンディ・ローパーの「マネー・チェンジズ・エブリシング」という曲に出会ったのもその番組。黄色と赤の派手な髪の毛のシンディが、ライブ映像でゴミ箱を蹴りまくり歌い叫ぶ。いい子でいなければ、という心の縛りが揺さぶられた瞬間だった。
特に気に入って歌詞を暗記し、よく口ずさんでいたのが、ホイットニー・ヒューストンの「ザ・グレイテスト・ラブ・オブ・オール」だった。
何より偉大なのは自分自身への愛、という歌詞を、まるで言い聞かせるみたいに歌う。愛とは自己犠牲ではないのか。自分を嫌いな私に、人を愛する資格はないのか。自問自答する10代にとって、恋愛はまだ憧れの領域に属しており、思春期の不安定さからも抜け出せないままだった。
あれから30数年。さまざまな人に出会う中で、山のように失敗をくり返し、人を傷つけ、傷つけられてきた。一方で、心から尊敬できる人にも、話が合う人にも出会ってきた。尊重される経験をくり返すうちに、低すぎる自己評価を上げないと、認めてくれる人たちにかえって失礼なのだとだんだん分かってきた。
人は誰でもかけがえのない存在で生きる価値があり、1人の周りには関わるたくさんの人がいる。そんな当たり前を本当に実感できたのは、人生のどん底に落ち、助けてくれた人たちがいたときだった。
未来をまだ知らない、10代の私を支えてくれた歌を送り出したホイットニー・ヒューストンは5年前、不幸な最期を迎え世界に衝撃を与えた。事件は本当に悲しかったが、彼女がくれた贈り物の力は、きっと永遠に消えない。
初出:日本経済新聞2017年12月15日