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ふだん映画館に行けていないぶん、やっと年末年始にチェックしていた作品をまとめて観ることができた。私のような怠惰な人間にとって、配信サービスはほんとうに有難い。そのなかで印象に残ったのは、「シビル・ウォー アメリカ最後の日」と「PERFECT DAYS」の2作品。前者は苛烈な“戦場”を、後者は何気ない“日常”に起こるドラマを丁寧に描いたものだから、物語の方向性としては正反対といえる。ただ、いずれもフィルム写真が重要なキーになっているところが興味深かった。その描写の仕方には幾つか気になる点もあるが、それらを含めて、制作者たちのフィルム写真に対するロマンが見えてくるのである。
まず「シビル・ウォー」について、一言で表せば戦場を巡る“ロードムービー”ということになる。主人公の“リー”という女性のフォトジャーナリストを含む4人の取材チームが、悲惨な戦場を旅するのである。その筋立てはどこかベトナム戦争を舞台にした「地獄の黙示録」を思わせるが、こちらは内戦下のアメリカ合衆国であるという設定がきわめてユニークだ。劇中ではカリフォルニアとテキサスを含む19州が連合を組み、連邦政府に反旗を翻し、文字通り「Civil War(内戦)」に陥っているのである。戦闘や虐殺シーンを含めた暴力描写は極めて克明で、人の心に潜む悪意と偏見とが暴走するとどうなるかが見事に表現されている。これまで海外で同様の事態を取材してきたアメリカのジャーナリストたちは、自国内で直面する事態に対して無力な当事者として巻き込まれていくのである。
だが暴力描写以上に怖いのは、こういう状況がじっさい起こるのではないかと思わせるからだ。貧富の格差、政治信条による反目、人種や不法移民などの諸問題で国民の分断が進むアメリカ社会の現状をリアルに浮かび上がらせているし、冒頭に登場する大統領の演説シーンなども現職のそれによく寄せている。本作は監督のアレックス・ガーランドが、政治学者バーバラ・F・ウォルターの著書『アメリカは内戦に向かうのか』(東洋経済新報社)から着想を得て企画したのだという。同書の警鐘を見事に、しかも皮肉をじゅうぶん効かせて近未来をシミュレーションして見せている。
現在の状況を投影しているという点では、主人公のリーが“女性”という点でもそうだ。キルスティン・ダンストが熱演する彼女は、マグナムに最年少で参加するほど優秀な写真家であり、現在はロイター通信に所属するという設定である。これはじっさいにマグナムに最年少で加入したのが、イラン人のニューシャ・タバコリアンという女性の写真家だったという事実を反映しているのだろう。いずれにしても本作は、フォトジャーナリズムの歴史をジェンダー・スタディの視点から再評価しているという側面もある。
写真家を主人公とした作品は、シリアスなエンターテイメント映画の系譜に、ひとつのサブジャンルとして確立している。まだ記憶に新しいところとしては「ミナマタ」(2020年)などがあり、本号が出るころには深瀬昌久を浅野忠信が演じた「レイブンズ」が公開されているはずだ。
ここで注目したいのは、女性を主役にした作品が増えていることである。2010年以降を見ても「おやすみなさいを言いたくて」(2013年)や「カミーユ」(2018年)などがある。なかでも個人的にぜひ見たいのが、リー・ミラーの軌跡を描いた「リー」(2023年)だ。ミラーは第二次世界大戦のヨーロッパ戦線に従軍取材して注目すべき写真を撮ったものの、戦後はその経験からPTSDに悩まされ続けたことで知られる。その葛藤をケイト・ウィンスレットが見事に演じていると、幾つかの外国メディアのレビューで評されていた。
じつはこの「シビル・ウォー」の主人公リーのキャラクターは、リー・ミラーをモデルに造形されている。だから彼女もまた、内戦の様相が彼女の心に深い傷を刻んでいき、しだいに迷いが生じ、レンズを向けることに恐怖を覚えていく。これまでの戦争取材で撮影してきた彼女が、今度は被写体となった人たちの苦しみを、戦争被害の当事者として実感するのである。その過程は、彼女がこれまでの取材で撮影した写真が繰り返し挿入されることで示される。
このリーに加え、本作にはやはり女性でカメラマン志望のジェシーが登場する。まだ23歳のジェシーはリーに憧れており、押し掛けるようにチームに参加、悲惨さに慣れるうちにプロとして成長していくのである。このベテランと新人の対比を、二人の使う機材が象徴している。リーはソニーのα7を2台使い、ジェシーは父から譲り受けたフィルムカメラ、ニコンFE2を手にしているのである。
この点はさまざまな場面に対応してきたプロと、戦争取材で名を馳せたフォトグラファーに憧れているアマチュアの違いを象徴している。またフェイク画像が蔓延しているデジタル時代を批判し、フォトジャーナリズムの原点がどこにあったのかを思い出させる。デジタルネットワークで素早くイメージを拡散するよりも、フィルムと印画紙という物質に眼前の事実を刻み、検証と議論のための記録として確かなものにしておく。そんな写真の社会的役割の重みをあらためて問うているように思えた。
とはいえ、ジェシーのFE2に最後までずっと同じ広角系の単焦点レンズがつけられていたのはどうかと思えた。劇中ではその一本で遠景を捉え、夜間撮影や連続撮影までこなしているのだ。そこにフィルム写真に対するかなり過剰なロマンや、一歩間違えば神話化しているような危うさを感じてしまったのも事実である。
もう一本の「PERFECT DAYS」は、過酷な競争社会から距離を置いた初老男性の日々が丁寧に描かれている。カンヌ国際映画祭で役所広司が主演男優賞を獲ったこともあり、公開前からかなり注目された一本だった。
その役所が演じた公共トイレの清掃員である平山は、下町の古い木造アパートの一室に住み、規則正しい毎日を送っている。1960〜70年代のアメリカンロックと読書、そして早風呂が彼のささやかな趣味だ。部屋には家具も衣服も少なく、社会的にも家庭的にも大きな挫折を経るなかで、本当に好きなものだけを手元に残すことを決めたのだろう。女性に対しても深いかかわりを避け、見守るだけの姿勢を貫いている。本作は爽やかな諦念が全編を貫いており、それは、ある種の男性的願望とも結びついているように思える。
そんな平山の日課のひとつが、公園で昼食をとっている合間に、モノクロフィルムを詰めたコンパクトカメラ(オリンパスのμ)で樹木を写すこと。だが、私の印象に残ったのはこの撮影ではなく、部屋でプリントを確認するほんの短いシーンである。仕上がった写真を一枚ずつ真剣に、しかし素早くチェックする。そして、気に入らないものはためらいなく破り捨て、良いと思ったものだけを四角い缶に放り込む。その缶は、押し入れの奥にしまわれるが、すでに同じ缶が何段にも積み重なっている。

このとき平山が選ぶのは、樹々が逆光のなかで揺らめくなか、一瞬だけ生まれる抽象造形である。それは繰り返し出てくる彼の夢と重なるイメージであり、写真を通して、失われた原風景的な記憶を呼び戻そうとしているように見える。そして、そのような写真を大量にストックしていくことは、無意識であってもセルフセラピー的な意味を持つことになるだろう。それはモノとしての写真が持つ効能のひとつであり、フィルム写真に対するロマンチシズムの根源にあたる部分だともいえる。
このあたりの繊細な描写には、監督ヴィム・ヴェンダースの写真に対する深い愛情と理解とが表れている。ヴェンダース作品において写真の果たす役割は大きく、登場人物の感情や精神的な成長や、内面の発見に深く関わる重要なモチーフとなっていることが多い。その理解は、写真家でもある彼が出版してきた写真集にもよく表れている。なかでも個人的には「パリ・テキサス」(1984年公開)の制作にあたって撮られた「Written In the West」をお勧めしたい。カラーネガを使ったウィリアム・エグルストンらのニューカラー派とは違い、コダクロームで撮られているため広大なアメリカ西部の風景が、クールに捉えられていて清々しい。20代の私に深く突き刺さり、写真という表現に関心を向かせた一冊であった。
日本写真家協会会報183号(2025年3月10日)に掲載