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写真評論家・平木収の講演録「写真はどこに行くのか」1994年 第7回 ── パトリック・ファイゲンバーグと白岡順について

2026-08-07||鳥原 学

写真評論家の平木収さんは、ヨーロッパを、ことにフランスを愛した人だった。パリのどこそこのホテルに泊まって、こんな所でご飯を食べて、あのワインが安くて旨くて、誰それと出会ってという話を楽しそうにしておられた。

もちろんフランスの写真と写真文化も。今回のパートではその理由が垣間見えると思いう。


平木収「写真はどこへ行くのか」第7回 ── パトリック・ファイゲンバーグと白岡順について

(シュザンヌ・ラフォンとともにすごい人気を博しているのは)パトリック・ファイゲンバーグという写真家なんです。パトリックっていうこの男性はまあファイゲンバーグなんて名前はドイツ系だと思うんですけど、今はフランス人です。さっきのシュザンヌ・ラフォンなんかとは、まあ大のお友達、というかある種仲間です。

もう一人クリスチャン・ミリノバノフっていう人がいて、そのミリノバノフっていう人の写真は今日は入ってないですけど、さっきのシュザンヌ・ラフォンのパートナーなんです。

貴族社会のストーリーと伝統への違和感

ファイゲンバーグ、この人がやったこの作品はね、ご存じの方あるかもわかりませんが、ローマ、まあローマだけじゃないかもわかりませんが、イタリアの貴族の写真なんです。

イタリアにはまだ貴族制度がちゃんと残っておりまして、あんだけ戦争に負けてガタガタになった国なのに、イタリアには貴族、ノーブルファミリーっていうのがいるんです。貴族の館に行ってですね、ポートレイトを撮らせてもらうわけです。ポートレートを撮るにあたって、彼はいろいろ注文をつけるんですね。まあ写っている人はその館に住む本物の家族なわけです。まず、なにするかっていうと、貴族の人にお願いして揃ってもらうでしょ、それからワードローブに入っていくわけです。ウォーク・イン・ワードローブです。

もちろん。そこへ行って、その家族の人達にこの服を着てください、その服を着てくださいと指示して、自分で着てもらう服を選ぶんです。そのあたりから、ただ者ではないというか、着てもらって、それを身に纏ってもらって、普段着じゃないものを着てもらって、いろんなところに立ってもらう。写真にしてみれば、なんでもないことなんだけれども、実はパトリック・ファイゲンバーグ自身は、服装のイメージと、その家族のストーリーっていうものを勝手に作ってるわけです。

具体的に言えば、彼曰く、又聞きなんですけど、この家ではこれは実子なんだけど連れ子の方の服が面白くてちょっと違ったテイストの服を着てて、ここの家族は、今遺産相続でもめてるだとかね。とにかく物語を作っちゃうわけです。例えばこれだったら、たまたま主人はいないのかもしれなかったんだけど、主人が死んで、ずっと家督を潰しつつ家督を守っている未亡人とかね、四〇年つかえているメイドがいるだとかそういうふうに作っちゃうわけです。そういうふうにして貴族社会というものとその歴史の重みっていうかな、それを表現している。

ですから単に表層上のポートレートじゃなくて、どっちかっていうと、文化、良い意味でも悪い意味でも、因習と言ってもいいし、伝統といってもいいけど、貴族制度っていうのは実はフランスなんかではとりあえず廃止されながら生きている部分もありますけどね。貴族の名前が残っていたりするけど、例えば社会制度としては廃止されてるわけですね。そういった、フランスでは共和主義ですけれども、イタリアはそういうふうに共和的な国になったはずなのに、それが残ってることに対する違和感の表明でもあると思うんです。ただ、憧れもあると思うし、ルキノ・ヴィスコンティの世界が存在しうるという、貴族制度の見栄かもわかりませんね。そういったふうに文化と貴族制度の問題をこの作品は語ってるんです。非常に手の込んだやり方で。

そこにはさっきのシンディ・シャーマンの先祖返りとはまた違った広がりのスケールがあります。シュザンヌ・ラフォンが隣人的な愛情の世界っていうかな、結ばれの世界を表現していったのとどっか相通じながらも、役割分担が違う。そのようにして社会とか伝統とかっていうのを、かなり関心が高いアートが営まれてるなって感じがします。

白岡順とフランスにおける「写真」の受容風土

この辺で閑話休題って訳じゃないんですけど、写真というものがフランスではやっぱりかなりまだ好まれてるっていうか、愛されている感じがするんですね、僕にとっては。

なんでかっていうとね、この作家が人気をいまだに維持しているから。ややこしい写真ばっかりになっちゃったんですけど、白岡順です。日本人です。彼の非常にプライベートなだけどモノクロの写真の重々しいトーンがこの写真でしか選びだせないんですね。その写真がとても人気があるというか影響力までもはっきりもってますね。

ジャン=ピエール・ランベールってギャラリーなんですけど、そこの一番の人気作家が白岡なんです。ジャン=ピエール・ランベールってギャラリーはパリにある写真をもっぱらとするギャラリーの、わりかし強い方に入ります。

で、ただ非常に貧乏というか小資本でやってる、非常につましくやってるギャラリーです。アガテ・ガイヤールってとこだとか、ミッシェル・ソネット、あるいはこのランベール、何軒かあるんですけど、非常につましく、着実にやってるギャラリーなんですね。そこの人気作家ナンバーワンが白岡順で、他の作家も彼の影響力の磁場の中にあるような人が多いです。

こういう作家、なんていうかな、ある種映画のシーンを思い出させるようなね。どうもスコーンと抜けたものでなくて、淀んだような。そこに向こうの人はある種ジャポニズムを感じてるのかもしれない。

だけど人によっては、彼が日本人であることを知らない人もいます。そういうふうなレベルで作家のことを認識している人が、この手の写真を好きなんです。それが比較的広い範囲に重点的なファンがいるというよりは、広く受け入れられるような感じがあります。そこはひょっとして、日本人よりも写真のテイストっていうか、趣味っていうものがまだ好まれる風土、素地があるのかなという気がします。


以上、次回の第8回に続く。